「夏のハゼ釣りとビール」星野よしお

Anonymous

脳梗塞を発症して視力が著しく低下したのはもう何年前だろう。
炎天下でのハゼ釣り、渇ききったぼくの喉を潤したのはいつもビールだった。
医者に言わせると、それが脳梗塞の原因となったようだ。
早い治療が幸いしてぼくは視力を失わずに済んだのだが、車の運転は諦めざるを得なかった。
視力のせいで、万が一にでも人を傷つけるわけにはいかないというぼくの責任感。
と言うのは真っ赤な嘘で、自主的に運転免許を返納したわけではなく、一度目の免許更新を忘れ、免許を失効させてしまっただけなのだ。
自動車教習所の教官をしていた父にこのことを告げると、父親はひどく嘆いた。
でも最後には、「よしおなら仕方ないか、そんなこともあるだろう。自分が気を付けておくべきだった。」と納得したようだった。
それ以来、ぼくは電車やバス、そして徒歩で釣り場へ向かうようになった。
渓流釣りは朝いちばんに川へ入ることが釣果に直結する。だからぼくはそのために前の日から河原でキャンプをするのだ。
どうせキャンプをするならと、誰もいない河原でギターの練習もする。
大好きなティーチャーズを飲んでかき鳴らす六弦が空気を揺らし鼓膜を揺らす。
小汚い三鷹の部屋で、隣人からの苦情を気にしながら弾くのとはまるで違う音のような気がする。
そして漆黒の川をほのかに照らす安物のランタンの光が、飛び交う川虫の羽に反射しとても神秘的だ。
そんな時、人の幸せっていったいなんなんだろう？って思ったりする。
そしてぼくは、今流れの中でじっと身を潜めている鱒になったような気がするのだった。